魚が捕れない。捕らなきゃいけない漁師と、食べなきゃいけない消費者
こんにちは、たけのこです。
今年は魚が不漁のニュースをよく見かけます。
スルメにサンマが特に不漁ですね。
温暖化による影響や、乱獲など予想のつかない影響が海の中では生じているのでしょう。
それでも世界の魚資源が減少傾向にあるなかで、消費は伸びる一方です。
今回は私たちの食卓を豊かにしてくれる魚についてです。
※画像のノドグロ島根県浜田産、この大きさで5枚1800円はお買い得だと思います。
魚が捕れない。捕らなきゃいけない漁師と、食べなきゃいけない消費者
海は広い。でも魚は生き物だ。
海は世界の表面積の70%を占める広大な印象があるため、魚は無限にいるかのような印象を持ってしまうのが消費の拡大につながっているのかもしれません。
ダイビングをする私は、海に入ると魚の群れに覆われたり、多様な生態系がそこに存在することをいつも感じさせられます。
海のほんの一部しか見てないその瞬間ですら、魚は無限に存在するのではないかと錯覚してしまうのです。
一方で、スーパーに行くと多くの魚が売られています。
釣った姿で売られているものや、加工された魚。
国産、外国産、天然、養殖。
大きいスーパーに行けばその品ぞろえは、物凄い種類と量になります。
私の利用するスーパーではほとんどが加工済みの物が主体です。
切り身や干物、刺身、みりん干しや、西京漬け等ですね。最近では骨を既に抜いて処理したものもあります。
しかし、魚そのままの姿で売られているのは全体でもごく一部です。
忙しい現代人には魚をさばく時間がないということもあるのでしょう。
かくいう私も魚の三枚おろしをできるようになったのは最近の話ですが。
しかしながら、この便利さが魚を生きた資源だという感覚を消費者から奪っているようにも思えるのです。
当たり前が命の姿を見えなくしている
夏はアナゴやイカ、秋はサンマ、冬はハタハタ、アンコウ、カニと言ったところでしょうか。
その時期になれば、安価で大量にその海産物がスーパーには並びます。
まさにサンマなんかは庶民の魚だといって秋になれば食卓になくてはならないかのようになっています。
サンマ美味しいですもんね。
私も塩焼き大好きです。
そのために、まだ青い柚子を採って冷凍庫に入れています。
でも、そうした庶民の味の漁獲量が減少傾向であるニュースを見ると、なぜそれでも消費者は求めるのか、漁師は捕り続けるのか、スーパーは仕入れ続けるのかと思ってしまいます。
当たり前にあるものがなくなると人は寂しくなるものです。
でも、私たちの食べている魚は自然が育てた一つの命なのです。
漁師は魚を育ててはいない、海の略奪者
適切な表現ではないですが、完全養殖を行っている漁師さんは別にして、漁師という仕事は海の資源を捕り続ける略奪者です。
それを否定するわけではないですが、漁師は魚を育ててはいません。
自然にあるものを捕っているだけです。
しかも、船ごとに捕れた魚の量で商売をしています。
そうなれば、捕れるときにたくさん捕った方がいいし、捕れないときでも生活がかかっているから海に出て漁をしなくてはならない。
漁師にとって魚は永遠に取り続けなければ生活ができないのです。
資源は捕りつくせば無くなるもの。
人はそれで地上で多くの生命を絶滅に追い込みました。
資源を捕り続ける漁師という仕事の在り方、季節の魚を安価で売らないといけないスーパー、あって当たり前という消費者の考え方に変化が必要ではないでしょうか。
海は偉大な回復力を持っている
今かろうじて海産物にありつけているのは、海がもつ偉大な回復力のおかげです。
その回復力を上回るほど魚を捕れば、当然の事ながら海産資源は減っていきます。
他にも自然環境の変化によるものもありますが、まずはそこだと思います。
魚は自然がもたらしてくれた恵であるのに、それを当たり前にそこにあるものと思い込むことこそ愚かな考え方です。
今では、漁獲量は漁が始まる前に資源調査を行ったりしています。
その時点で不漁がわかるようになっているのですから、数年、漁を禁止にするなど政策的な措置を取ればいいのです。
そのために漁協があるのではないでしょうか。
サンマで例えれば、彼らは1~2年しか生きない魚です。
4~5年も漁を規制すれば資源量は回復することでしょう。
そうしなければ、資源を捕りつくすまでは行かないまでも、自然の回復力を上回ってしまい絶滅に追い込む可能性だってなくはありません。
実際に日本では江戸時代から北海道で巨大産業となったニシンを捕りすぎた結果、資源を枯渇に追い込み、今では輸入に頼っているのが実際のところです。
ましてや、最近では中国船や台湾船が日本近海に来る魚を事前に捕っている実態もあります。
他国に資源量を制限させる交渉もしていますが、まずは日本が積極的に近海の魚たちを保護すべきです。
7世代先を想い生きるネイティブアメリカンの教え
ネイティブアメリカンの教えの中に、7世代先の子孫のことを想い今を生きる教えがあります。
7世代先までというと1世代40年として、210年後くらい先の将来でしょうか。
自分が決して会うことはないのだけれども、子孫が自分たちの行いによって負債を追わないように生きることの大切さを説いてるのだと思います。
今の私だと自分の孫くらいまでしか想像したことはありませんが、200年後を考えたときに今、私たちは何をすべきか考えることは容易ではありません。
しかしながら、徳川家康が築いた江戸幕府は250年続いていますし、江戸時代の画家、伊藤若冲は「具眼の士を千年待つ」(自分の価値がわかるまで千年でも待とう)という言葉を残している人物もいます。
200年後思った通りになることは無いにしても、様々な問題を抱える現代では、そこまで想いを馳せて生きることが問われているのではないでしょうか。
そう思ったらサンマの値段に毎年一喜一憂している場合じゃないですよ。