あなたの心に問いかけるイスラムの言葉10選
こんにちは、たけのこです。
先日は日本最大のモスク「東京ジャーミィ」でイスラム教について学んできました。
その中で、第二の聖典「ハディース」の中から、心に問いかける言葉を紹介したいと思います。
イスラム教の言葉ですが信仰の有無を問わず、あなた自身の心で意味を理解してみてください。語りかけてくるものがあると思いますよ。
- 心に問いかけるイスラムの言葉
- 「ハディース」とは?
- 「豊かさとは富の多さではない。豊かさとは心の満足によるものである。」
- 「善へと導き示すものは、善を行ったようなものである」
- 「あなた方のうち、最も善き人とは、妻を大切にする人である」
- 「アッラーはあなた方の外見や財産をご覧にならず、あなた方の心や振る舞いをご覧になられる」
- 「あなた方はお互いに憎しみあってはいけない。お互いを妬んではいけない。お互いに背を向けてはいけない」
- 「同胞に守れないような約束をしてはいけない」
- 「悪事を目にした信者は誰でも、それを手によってやめさせるようにしなさい。それができなければ舌によって忠告するようにしなさい。それもできなければ、その行為を心で憎みなさい。しかしそれは最も弱い信仰である」
- 「一人のムスリムが木を植え、畑を耕し、その実りを人や動物や鳥が食べたならば、それはそのムスリムにとっての施しとなる」
- 「人は皆、罪を犯しうる。罪を犯す者たちのうちで、最も善き者は悔悟する者たちである」
- 「害を与えることも、害に対して害で応じることも禁じられている」
- イスラム教は徳の教え
心に問いかけるイスラムの言葉
「ハディース」とは?
その前に、第二の聖典と呼ばれる「ハディース」とはなんでしょうか。
良く聞く「コーラン」は、神が語った言葉を予言者ムハンマドが記した言行録です。
それに対して「ハディース」とは、預言者ムハンマドが語った行動や言葉についてまとめたものです。
「豊かさとは富の多さではない。豊かさとは心の満足によるものである。」
豊かさの価値観は人によって様々ですが、富=豊かさと捉えている人も多いことと思います。
お金さえあれば、好きなことができる。
お金さえあれば、裕福な暮らしができる。
お金さえあれば、夢を実現できる。
そういう言葉をさまざまな人から何度も聞ききました。
実際そうなのかもしれませんが、お金は目的でなく、あくまで手段です。
豊かさは手段によってもたらされるものではなく、あなたの行動によって得られるもの。
富の多さが豊かさではないとはそういう意味ではないでしょうか。
「善へと導き示すものは、善を行ったようなものである」
慈善活動やボランティアに限らず、社会に対して善き行いをしている人はもちろんですが、そういった選択肢を示す、つまりは導きを与える人も善を行ったことと同じということです。
例えば子育ても、その子が将来どんな形であれ善き人になるように育てる行為こそが、善となる行動なのです。
「あなた方のうち、最も善き人とは、妻を大切にする人である」
川端康成の言葉に
「一生の間に一人の人間でも幸福にすることが出来れば自分の幸福なのだ」というものがあります。
一番身近な人を大切にすることは、結局、自分の幸福につながるという事なんでしょうね。
「アッラーはあなた方の外見や財産をご覧にならず、あなた方の心や振る舞いをご覧になられる」
「お天道様はいつだって見てるんだから、良い行いをしてればいつか良いことあるよ」
会社で不遇な扱いを受けているとき、相談に乗ってくれる先輩がよく言ってました。
私たちは日々、何かしらの選択をしています。その一つ一つの選択の結果がやがて自分に返ってくるということでしょう。
「あなた方はお互いに憎しみあってはいけない。お互いを妬んではいけない。お互いに背を向けてはいけない」
これはとても難しいことでありながら、とても大切なことと思います。
それは、私たちがいとも簡単にそのようなことをしてしまうからです。
人を憎み、嫉妬し、目を背ける。
私にとってはこれが自分に対する課題だと思います。
「同胞に守れないような約束をしてはいけない」
人と人との信頼は、約束を守れるか守れないかだと思います。
田中角栄元首相も「時間の守れん人間は何をやってもダメだ」と言われていますが、時間すら守れない人は信用できないということ。
信用を裏切るような行為をしてはいけないということです。
「悪事を目にした信者は誰でも、それを手によってやめさせるようにしなさい。それができなければ舌によって忠告するようにしなさい。それもできなければ、その行為を心で憎みなさい。しかしそれは最も弱い信仰である」
悪事を見たら行動で正すことが一番と言っています。
逆に悪事に対して何もせず、心の中で憎むことが一番弱いということです。
世の中、悪事で溢れています。
何ともない小さなことから、大きなことまで。
悪事とは言わないまでも、電車で割り込み乗車を目にしたとき、たいていの人は注意せず、心で憎むだけじゃないです?
悪いことは行動と言葉で変えていかなければ、憎んだところで良くはならないのです。
「一人のムスリムが木を植え、畑を耕し、その実りを人や動物や鳥が食べたならば、それはそのムスリムにとっての施しとなる」
イスラム教の教えの中には、神の前では皆平等という考え方があります。
それは犬でも鳥でも、あらゆる生き物が平等という意味です。
イスラム教のモスクはそうした動物たちの安らぎの場でもあるために、建物に鳥小屋などが後付けではなく構造に組み込まれています。
畑のものを動物が食べてしまっても、それを恨むのではなく、施しを与えたと考えなさいということでしょう。
ただ、これに関しては限度があります。
余りにも農作物を動物に食べられちゃうと人間が困ってしまいますからね。
自然との共存を図ることが大事だと示しているのでしょう。
「人は皆、罪を犯しうる。罪を犯す者たちのうちで、最も善き者は悔悟する者たちである」
何の罪もない人なんていないということです。大切なことは罪を反省し、自分の行いに目を逸らさないことです。
逆に、反省したことを許さず、更に追及することは愚かなことなのかもしれません。
「害を与えることも、害に対して害で応じることも禁じられている」
「目には目を歯には歯を」と同じですね。
害に対して害で報いることは結局また、自分に返ってくるということでしょう。
例え何か嫌なことをされたとしても、相手を許せる心を持つことが恨みを産まない大切なことなんだと思います。
イスラム教は徳の教え
私なりの解釈なので、人によってとらえ方は違うと思いますが、これだけの言葉でもイスラム教が決して過激な思想だけではないことがわかります。
だから私たちは現代に生きる上で善き選択をするために歴史、文化、宗教を学ぶことが必要なのです。
差別や偏見を持たないためにも、知らない事を学ぶことの大切さが伝われば幸いです。