できない人が多い。できない人基準で考えたら働きやすくなる
こんにちは、たけのこです。
タイトルに悪意はないですが、実際のところ職場には仕事ができない人がいます。
お前もその一人だ!とか言われると困っちゃうんですけどね...
最近では、働き方改革で効率的な働き方を考えようって流れがありますが、効率化だけだとやっぱり仕事のできない人が足を引っ張ってしまうと思うんですよ。
まあ、それが差になって給料に反映されればいいんじゃない。
と言う考え方もありますが、今日書きたいことはまた別の話。
世の中には、いわゆる「できない人」がたくさんいます。
私もできない人だし、あなたもできない人。
全知全能、何やらせたって完璧な超人なんていないという事です。
つまり、世界は「できない人」で溢れてることを認めると、自分も楽になるし、社会も良くなるんじゃないかという事です。
できない人が多い。そういうもんだって考えたら社会を人間らしく変えられる
世の中は「できない人」で溢れている
先ほど、世の中は「できない人」で溢れていると言いましたが、どんな「できない人」がいるのでしょうか。
〇仕事ができない人
〇家事ができない人
〇勉強ができない人
〇運動ができない人
〇ルールを遵守できない人
etc...
無限に書いていくことができます。
上記だって細かく細分化すれば、数学ができない人とか料理ができない人とか、いくらだって考えられますよね。
だから、あなたも私も「できない人」の一人なんです。
2:6:2の法則
2:6:2の法則というものがあります。
働きアリの法則とも言われますが、働きアリのうち良く働くのは全体の2割で、普通に働くのが6割、全然働かないのが2割に分かれるというもの。
これが人間のコミュニティにも似たような現象がみられるといいます。
つまりは、会社のなかでも生産性の高い(仕事ができる人)は、全体の2割で、そのほか6割は平均的、残りの2割は怠け者(もしくは仕事ができない)に分けられるというものです。
実際、この法則通りになっているかはさておき、生産性の高い人から見れば、全体の8割はできない人の集団になっているように見えるのです。
できる人の視点だと、多くの人ができない人になるんですね。
できない人を基準に考える
私の前の職場に、自称スーパー社員の女性がいました。
彼女は仕事はなんでもきっちり、しかもスピーディーで仕事を締切りよりも4,5日早く終わらせ、その上、同じチームの仲間の仕事までサポートして、定時できっちり帰る。しかも、人より早く出勤し、執務室全部を一人掃除します。
でも働きっぱなしかと言えば、10時と3時にちゃんとおやつとお茶の時間をとり、自前のこだわりお菓子とコーヒーを飲食していました。
(このお菓子がおいしい)
その人が常日頃から私に語ってくれた言葉があります。
「基本的に世の中、仕事でもなんでも、できない人しかいないと思え。」
「できない人ができるように、やり方や仕組みを考えて、それでもうまくいかなきゃ工夫しろ。」
「でも私は自称スーパー社員だから、何でもできるけどね」
彼女が考えているのは常に仕組みでした。
仕事はできない人を基準に、何をどうやって工夫したらその人の力を最大限引き出せるか、それを考えて全体の仕組みを作る。
人の力を引き出すことで、自分の仕事も楽になりますからね。
また、自分の仕事も一つ一つのやり方ではなく、本質は何か考えたうえで仕組みを作り、最小の時間で成果を出す。
それに加え彼女は、作った仕組みは不具合があれば常にアップデートしていきました。
それは自分の気づきよりも、職場の仲間の意見、取引先、顧客といった自分以外の意見を多くヒアリングした上で、最適な仕組みに改良していたのです。
彼女の作る仕組みは関係する全ての人に働きやすい環境を提供していました。
日本理化工業の取り組み
「日本でいちばん大切にしたい会社」という本はご存知でしょうか。
ベストセラーなので、読んだことある人も多いと思います。
この中で出てくる日本理化工業は、50年前に知的障害をもつ二人の少女を施設から採用してもらえないかと歎願され、試用期間を設けて受け入れることにしました。
そして、試用期間が終わった時になんと社員たちの方から「私たちみんなでカバーしますから」と切望され、二人の少女は正式採用されることになりました。
そして現在、日本理化工業の障害者雇用率は、社員の7割に達しています。
最初に採用された少女二人も本が書かれた時点では現役で働いていたそう。
これは日本理化工業ができない人を基準に考え、どうしたら誰でも同じように作業をすることができるか職場環境改善の積み重ねをしてきた結果なんだと思います。
できない人をヒントに改善していくことは、人にも社会にも優しい仕組みに変える力があるんです。
期待するから疲れちゃう
よく、「私はこれだけ仕事しているのに、あの人全然働いてないんです」、
「私が仕事すればするほど、仕事が回ってきて、いくら頑張っても終わらない」
という相談を受けます。
仕事ができない、働いている振りして働いてない人って、多分どこの職場にもいると思います。
その人がもっと働けば私はイライラしなくて済むし、残業もしなくて済む。
そんな風に思っているのかもしれません。
でもそれはあなたが、できる人を基準に考えているから。
できない人に期待するのは、無駄とは言いませんが、期待すればするほど疲れちゃうのかなって思います。
ノブレス・オブリージュという考え方
できない人に何かを期待して成果を求めてしまうのは、あなたがその分野に関しては「できる人」だからではないですか?
「ノブレス・オブリージュ」という言葉があります。
直訳すると「高貴さは義務を強制する」という意味です。
最近では、主に富裕層、有名人、権力者、高学歴者が「社会の模範となるように振る舞うべきだ」という社会的責任に関して用いられる。
高貴さと言うと自分には無縁に感じますが、「できる人」に置き換えて考えてみてください。
「できる人」であるあなただからこそ、できることがないでしょうか。
それは能力を自分だけで使うのではなく、あなたの力で「できない人」を「できる人」に変えること。
それができれば、それは相手への奉仕だけでなく、あなたの時間を作ることにもつながり、あなたにとっても組織にとっても有益なことです。
つまり、あなたが「ノブレス・オブリージュ」を実践すれば、あなた自身の人生をより豊かなものにし、社会を変える起点になるのです。
できない人を基準に考えることが社会を人間らしくする
今の社会は「できる人」が基準で作られています。
最近では、一概にそうは言えないですが、基本はそうだと思います。
学校教育でもそうですよね。
勉強ができる子はいい成績がつくし、できない子は「もっと頑張りましょう」という成績表をもらいます。
でも、もしかすると、勉強ができない子は別の可能性を持っているかもしれないのです。
しかしながら、今の義務教育ではすくなくとも9年間はその可能性を、内に秘めてしまい埋もれることが多いでしょう。
学校教員は勉学が「できる人」がなっており、人の潜在能力を見抜く力を持っているとは限りませんからね。
「できる人」基準で考えてしまうと、それをできない人を否定することになり、そこに格差が生まれていきます。
そうするとマイノリティとも呼ばれるようになるんでしょうね。
人は完璧じゃないし、失敗する
全ての人が平等に完璧にできるわけではない、人は不完全な存在です。
だから失敗もするし、大きな過ちを犯します。
その時に、ミスを否定するのか、手を差し伸べ再び同じことが生じない教育や仕組みを作るかでは大きな違いです。
例えば、駅のホームで考えても、ホームに落ちて電車との事故に遭った人を責めるのか、それとも落下防止の柵がないことを責めるのかでは、社会の在り方そのものが変わってきます。
社会は、不完全な人の集まりで構成されています。
不完全な誰もが、より良く生きていく社会にするには、「できない人」が不自由しない仕組みを作ることが賢明ではないでしょうか。
大きく考えず、身近なところに目を向けて見ましょう。
変えられること、誰かの力になれることが必ずあるはず。
それはきっと、相手だけでなく、あなた自身を豊かにする起点になることでしょう。