自分が犠牲にして得たものを無駄にしなければ辞めたっていい。
こんにちは、たけのこです。
アスリートをしていた時に、コーチから言われた言葉があります。
「何かを犠牲にしなければ、何も手にすることはできない」
「成長するために、君たちは何をどれだけ犠牲にできる?」
まだ私がへなちょこだった時に、この言葉を聞いて深く考えさせられました。
私は何になりたくて、何を犠牲にできるだろうか。
それから、スポーツを辞めて6年が経ち、あらためてこの言葉の意味を考えてみると、現役の時とはまた違う解釈をできるようになりました。
この一言から考えさせられたことを書いてみます。
自分が犠牲にして得たものを無駄にしなければ辞めたっていい
成功を手にするための犠牲は大きい
私はアスリートとして、一般的には高い評価に値するレベルの成果を出しました。
個人としては満足するものではないですが、世界大会にでたことに周囲の評価は高かったです。
でもそのために、私が犠牲にしたものは多くありました。
時間
私がアスリートをしていたのは7年間。
グランドで練習している時間は限られていても、普段の生活の中で常にスポーツのことを考えていました。
7年×365日×24時間=約61,000時間
これが私の犠牲にした時間です。
旅行や友人との外出などは、できませんでした。
食事
食事の面ではかなり神経を使っていました。
食べるものがエネルギーとなり、やがて自分の血や筋肉となっていくからです。
ジャンクフードや食品添加物が多い食品などはさけ、体調に合わせてバランスの良い食事をとることを心がけていました。
夏場なんかは練習中に熱中症をおこさないように、梅干しなどを朝食で取ったり、練習中は冷たい飲み物を取りすぎるので胃に負担がかかることから、昼食や夕食は内蔵に負担をかけない食事をとっていました。
最近ではスポーツフードアドバイザーなんて資格もあるようですが、私のころは自分で管理しなければならなかったので、栄養学などは自分で学んでいました。
やりたいこと
やりたいことをやるために、それ以外のやりたいことができない。
そんな日々でしたね。
特に大学に入ってからは、周りの友人の話などを聞いていると、どこに行ったとか何をしたとか耳に入ってきます。
私も同じように友人とやりたいことがあっても、トレーニングがあるため、なるべく誘われないようにしていました。
いわゆる、付き合いの悪い人間です。
そんな私を理解してくれた友人がいましたが、彼とは唯一今でも交流があります。
逆に言えば、大学の友人で卒業後に合っているのは一人だけです。
そういう友人を持てたことは財産ですね。
覚悟があれば苦労はない
当時を思い出すと我慢ばっかりしていたなあと思いますが、決して辛いとは思っていませんでした。
それだけ、スポーツが面白かったし、何より自分の人生をかけて挑戦をしていたので、苦労している感覚はなかったです。
ただ、今思い返せば、よく頑張ってたなって感じるだけです。
夢中になっているころは頑張ってるなんて思ってもなかったですけどね。
辞めてしまった瞬間気づく犠牲の大きさ
本気で夢中に取り組むものがあると、犠牲を厭わなくなってしまいます。
それがアスリートの時の私でした。
でも、大学卒業と共にスポーツを辞めたことで、自分が失ったものの大きさにショックを受けました。
自分が成果を得るために費やしてきたものが、こんなにもあるのかと。
続けてきたものを辞めるということは、非常に惜しいものだとその時初めて知りました。
でも、別に辞めたっていい
もしあなたが今、本気で取り組んでいるものがあって、続けようか、辞めようか悩んでいるなら、どちらでもいいと思います。
続けたければ続ければいいし、辞めたければ辞めればいい。
日本人は続けることが美徳のような感性があるので、物事を辞めて次に行くことに抵抗を示す人は多いですけどね。
ただ、辞めるならこれまで払ってきた代償の上に、自分が何を得たかよく考えてから辞めた方がいいです。
私の場合、スポーツを辞めたことで周りからは非常に残念がられました。
でも、後悔はありません。
それは競技を続ける中で得たものが大きく、これから生きていくうえで必ず役に立つと信じているからです。
自分が犠牲にして得たものを無駄にしなければ、辞めたっていい。
興味を持ったらどんなことでもいいから、挑戦し続けることが大切だと思います。