テロに対するバルセロナ市民の勇気と日本の他人事感
写真:ロイター/Susana Vera
こんにちは、たけのこです。
先日、スペイン、バルセロナで起きた自動車によるテロは多くの人にショックを与えたと思います。
このテロでは13人が亡くなり、100人以上が怪我をしました。
この数年で数多くのテロが世界で発生しており、多くの被害者が出ています。
とても悲しいことだし、恐ろしいことでもあります。
今回はバルセロナのテロに関するニュースで見た印象を書きたいと思います。
テロに対する市民の勇気と日本の他人事感
「私は恐れない」市民のテロへの抵抗
とにかく、驚いたのはテロ翌日に事件現場で犠牲者を悼む集会が行われたことです。
その場所には、スペイン首相をはじめ、多くの市民、観光客が集まりました。
まだテロの実行犯が捕まっていない最中にです。
1分間の黙とうの後、自然と起こったシュプレヒコール
「私たちは恐れない」
という言葉があたりを包みました。
私はバルセロナ市民の行動の早さ、その勇気に感銘を受けました。
そして、事件が起きたランブラス通りの露店は事件翌日には、通常通り営業を始めていました。
彼らはテロに屈しない姿勢を行動で示しているのです。
また、現地の市民や観光客へのインタビューを聞くと「テロに屈しないために、観光を続ける」とのコメントや「テロを恐れない」、「私たちは先に進まなければならない」とテロに立ち向かう姿勢が感じられました。
日本のテロに対する他人事感
それに対して、日本の報道を見ていると出演者のいくつか気になるコメントがありました。
「日本は直ちに危険ではないから大丈夫」
「過激派を水際で食い止めるために、入国審査を厳しくしよう」
「日本が他の連合国と同じような立場に見られないような主張をイスラム国に示すべき」
一番ショックだったのは、3つ目です。
日本はイスラム国に対する有志連合軍のメンバーに入っているのですが、日本は直接イスラム国に空爆など攻撃を行っていないから日本がテロの標的とならないように主張しようという意見です。
よそはいいけど、うちは勘弁みたいな。
テロは確かに非人道的で恐ろしいものです。
しかし、各国がテロを否定し、こういった事件をなくしていこうと努力する中で、自分たちはまるで関係ないかのようなコメンテーターの発言に怒りを覚えます。
ましてや、イスラム国のテロに日本人も巻き込まれているのにです。
街頭インタビューでも日本人のコメントは「テロが恐いから旅行に行くのをやめる」とか「日本で起こったらどうしよう」とバルセロナの市民のコメントとの差にショックでした。
インタビューは編集されているのかもしれませんが、被害者への哀悼の意やテロに屈しないなど、日本人のそのようなコメントは報道ではみられませんでした。
日本人のテロに対する姿勢
私たち夫婦は、昨年ヨーロッパで挙式を行いました。私は一昨年にヨーロッパ各国を周遊する一人旅をしています。
そのどちらも出発前に言われたのが、
「なんでわざわざリスクあるヨーロッパにいくの?」
「テロにあうから、やめた方がいい」
「死んだら葬式に行くから」
など冗談でも、とてもネガティブなものでした。
島国特有の性質なのか、海外に出ていくことにネガティブな意見を多くもらいました。
確かに、ヨーロッパ周遊時に訪れた何か所かで、後にテロが発生しました。
特にベルギーのブリュッセルで起きた爆弾テロは少し違えば、私も被害者になっていたかもしれません。
しかし、恐れを持つことはテロリストの思うつぼです。
世界を不安に陥れ、人々が他の民族、宗教を拒むようになり、人を信じることができず各国が孤立していく。
世界はもっと協力して助け合っていかなくてはならないのに、それを分断する力に恐れていていいのでしょうか。
イスラム過激派のテロがイスラム教の教えではない
イスラム教過激派のテロがイスラム教に対する偏見も引き起こしています。
先日、私はイスラム教のモスクにて、イスラム教の教えを学んできました。
その中で、次のような言葉があります。
「あなた方はお互いに憎しみあってはいけない。お互いを妬んではいけない。お互いに背を向けてはいけない」
「害を与えることも、害に対して害で応じることも禁じられている」
これは、イスラム教の預言者ムハンマドの言葉です。
世界各地で起こっているテロはイスラム国に影響を受けた人物によるものが多いですが、決してそれがイスラム教の教えではないことを理解しなければいけません。
私たちにできること
一市民の私たちとしてできることは、人種、国籍、宗教の差別を否定し、お互いを尊重し合うこと、そしてバルセロナ市民のようにテロに対し抗議し恐れないことだと思います。
テロの根源となっている社会に対する恨みや格差、貧困…弱者となる人に目を背けることなく、より良い社会を築いていく。
そう思うばかりです。